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Author:青色 カレンダー最近の記事月別アーカイブ
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Standard RPG Systemは「汎用」出来てない。
DXの版上げのときに「SRSにだけはならないで欲しい」と思ったのも、SRSがまったく「汎用」として用をなしていないというのが一つの理由だ。
「汎用」ルールに何が必要なのか、という骨子を踏まえていない。 例えば天羅WARのクラスをアルシャードFFのクラスと混ぜたキャラを作ることは、形式上は出来る。 ただし、根本的に「必要とされる達成値」が違い、「特技の代償」が違い、「ブレイクスルー」が違う。 同じなのは「クラスを組み合わせる」ことくらいだ。 判定のダイスを増やせる場合があるため「2D6を振る」ことさえ、共通とは言いがたい。 共通しているのはほとんど「SRSです」というブランドだけだ。 逆に「汎用」として組まれていないにもかかわらず、さまざまなステージに対応しうるルールがいくつかある。 クトゥルフの呼び声やDXだ。 判定方法やブレイクスルー特技の扱いなどを一切変える必要なく別の舞台へ持って行くことが可能だ。 この二つのルールに共通しているのは「超常的な力の根源は何か」と「PCは何をする者か」の二点がしっかりしていることだ。 クトゥルフにおいては「人智を超越した存在」と「翻弄される探索者」が居れば話がなりたつ。 DXでも同様で「レネゲイド(ウィルスですらないかもしれない)」と「周りの人間と関係を結べる者」が居れば話がなりたつ。 要は「事件のタネ」と「PCはどうすればいいのか」がはっきりしていることが骨子足りえる強度を持っている。 そのため時代や土地をGMがやりたいところに切り替えても、変更する点は極少なくてすむ。 PCのデータをほぼ同じまま別の舞台に持っていったりしてもやっていける。 どのように話を進めるかと言う部分が、ゲーム性がしっかりしているがゆえだ。 SRSは一方で、世界観に翻弄されやすい骨組みなのだ。 世界観と一致するようにそれぞれクラスデータやブレイクスルーを作らなければならない。 プロの製作者ですら苦労する仕事を、アマチュアで作って別の世界へ持っていくことは… まあ出来なくはないし決して楽しくなくはないが… はっきり言えば現実的ではない。 ある世界のキャラクタを、唐突に他の世界に投げ入れられるだけの柔軟性はない。 クラス型のシステムでは、ナイトウィザードが特に2ndになってから多世界をしっかりサポートするようなサプリを出していってS=Fとの融合を行っているが、それが出来るほどの「基準線」がSRSにはないのだ。 汎用ルールと言えばまっさきに思い浮かぶのはガープスだが、あれも汎用というよりは「網羅」だった。 そのため、ルールそれ自体よりも「このルールを使って何をするか」という読み物部分が非常にGMのためになるように書かれている。 GMが求める世界観にあわせて十分ルールを切り貼りできるよう「このサプリメントでこのようなことが再現できる」と明確に区分けされているのだ。 そういった仕組みがSRSにはない。GMが自由な世界を組み上げるための下地が説明されていない。 例えば、あるオリジナルなクラスを作る時、Lvごとにどれだけの+があるべき(戦闘能力値にせよ特技にせよ)か、などまったく不明瞭だ。 「汎用」しているのは作り手だけで、遊び手は複数の世界を混ぜ合わせたり、オリジナルな世界を構築することには手が届かないようになっている。 井上作品以外ではほぼ、原作アリのシステムがSRSに名を連ねているが… 原作アリが多数あった昔のマギウスを連想させられる。 「汎用」ではなく「簡易」ルールであるように作られたマギウスと比べても、しかし、SRSの立ち位置は半端に見える。 なんで「汎用」と銘打ってしまったのかな、と思ってしまう。アルシャードだけの世界でよかったと思うのだが… 「病は気から」
というのはいわゆる励まし文句のテンプレだけれど…
言われる側としては正直言ってストレスフルな言葉でもある。 どちらかと言えば、気分でどうにかならないからこそ病気なのである。 必要なのは気晴らしじゃなくて治療。 それに、体力の消耗が最低限で最大効率の娯楽なら、自分なりに準備しているしね。 この言い回しは実際、誤用でもある。 「気=気分」ではない。 「気」という言葉が本場中華思想ではどういう意味か、ということから注釈をはさむ必要がある。 根本的に、中華思想上では「虚無」というものは文字通り存在しない。 あらゆる場所は「気」で満ちているし、「気」の性質や流れこそが物質や生命であると考える。 すなわち「万物は気から」である。 たとえばワイヤアクションの「空中や水面を蹴って走ったり飛んだりする」動作は、まさにこの中華思想ならでは。 あれは「空気」という「気」を蹴っているのだ。 武術の達人には出来て一般人に出来ない差は何かというと、自身の「気」を操ることが出来ているか、ということになる。 まあ、武術に限らず、何かを極めると(功夫を修めると)結局は「気」の扱いにたどり着くらしい。 学術を極めると「哲学博士」になるのと同じようなものか。 「哲学」も誤用が激しい言葉だけれど、まあ今はおいておこう。 病気というものは体内の「気」の流れがおかしくなっている、ということで「病は気から」になるのだ。 現代漢方的な話をすると、血流であったり体温であったり神経信号であったりの「流れ」が上手く行かないことを修正すると、表に出てきている症状が治る、というアプローチになる。 患者からこのアプローチを取ると、例えば呼吸を整える、姿勢を整える、食事を整える、生活リズムを整える、人間関係を整える、etc... 「気」の整え方はそんなところから始まる。 地味で、ぱっとせず、そして長い時間が掛かるものなのだ。 政治と日常の接触事故。
13日オバマ来日に備え、東京の路線にくまなく警官が配備されています。
加えて自動販売機も一時停止。14日復旧予定らしい。どういうテロを想定しているんだろうか。 ひきこもりの僕がそれを目撃した理由はもちろん通院日だったから。 そして、主力のガバペン(薬)に「保険診療外通達」が… (父が)入ってる健康保険、仮にも政府系の機関の一部なのに。 頭がすげ変わって「無駄」の一部と判断されたのか? 馬鹿な。ガバペンに代えられる薬はまだ治験中なんですけど。 というか、そもそも「線維筋痛症」自体が公には認知されてなくて、役所と医療現場との連携でどうにか「アリってことで」と通してもらってたものだったりする。 「保険病名」という奴で、要するに嘘の病名での申告を上げているわけだが… こと、緩和ケアの領域では「別の病気に効く」として認可されている薬が別の病気にも効く、という状況が多いようだ。 (参照:http://air.ap.teacup.com/awatenai/294.html) 要するに、国の認可に柔軟性が足りない。参照記事の方が言うように柔軟にするにしても限界はあるだろうけれど。 対策は現在三つ。 1:保険加入者本人(要は父)から苦情を出す。 加入者本人に言ってもらわないと効果はないと医師から作戦を受けたので、その通り実行し てもらうように要請。 とりあえず声を上げないことは認知も進まないので、まずはこれを。 線維筋痛症の研究第一人者に曰く「舛添さんの時はまともだった」らしい。 「政府系でこれじゃあな…まったく患者さんが困るだけじゃないか」とも。 ここから薬の認可の不合理な堅さ(合理的な堅さは仕方ない。命に関わるから)、保険病名という嘘が医療事務員に必要とされる(申請される方もするほうも暗黙の了解となっている)謎の捩れ、その二つが解消される方向へ舵をとってくれるのなら労働厚生大臣を許す。 幸い、父は僕の医療費程度なら払えるからだ。 「というわけで保険組合に苦情を出して欲しいんだけど」 「払えば良いじゃん。払えるよそれくらい」 「そういう問題じゃない。こういう病気があるのだと保険の組織が認識することが重要なのだ。お役所仕事で書類に書いてないから不可があたりまえになればどこもかしこも『そんな病気認めない』でスルーする健康保険になる。『俺は払わないぞ』と言って欲しいんじゃない。『こういう病気があり、この薬は必要なものなのだ』と言ってくれ」 実際、金で解決できる問題は多いのだが、そうでない問題も根強い。 というわけで父を動かすのにぺらぺらと弁舌を働かせてきた。 今僕に出来ることは言葉を量産し、弾丸のように撃ちまくることだけだ。 しかし払えない人はどうしろというんだろうな。まったく。 死にはしないが死んだ方がマシだと思うほどの苦痛。しかも周りの理解は皆無。 診断できる医師は少なくドクターショッピングを繰り返し、診断された先の治療費は払えない。 自殺しろってことだろsk(正気で考えても) 2:治験に参加する。 実は10月末でファイザーの治験参加者募集は締め切られている。 新聞の折込チラシでのみ告知。サイトには何の情報もないあたり鬼か、と思う。 しかし、間に合っていてもリスクの方が高いので参加しなかったろう。 検索してみると、同じように考える人が多く(医師も普通はオススメしないし)応募者は少ないのでは…と思ったりもする。 3:個人輸入で薬を入手。 どうせ保険が効かないなら現在治験中の薬を直に取り寄せてしまおう、という。 来年からはこの方法に切り替えることになりそうだ。 苦情を出しても、組織の審査が突如グリーンになったりはしないだろうから。 病状がある程度のところで安定してきたと思ったらこれである。 保険制度で助けられている以上、政治とは無縁で居られないということなのか。 今やってる治験が通って保険内に入るのは何十年先の話なんだろうな… 日本に税金払いたくなくなるよね。 自PC間ではシナジーを形成しない。
一つの卓で多くのPCを扱う場合、可能な限りそうしている。
何故なら、それを設定したところで別のPCと出会うことはまず無いからだ。 その設定を生かそうとするとGMは採用していないはずのPCを登場させねばならず、さらに下手をするとPLから「こいつはそんなこと言わない」とか「俺がやる」とか言われるのだ。 そんな無駄な苦労を掛けるのなら、別のPLのPCに向かってアクションを起こし関係を築いていく方がやりがいがあるし、なによりシナリオが先に進みやすくなる。 そう、一人芝居は物語を停滞させるのだ。 例外は「前のPCが死んで、そのポジションに別のPCが欲しい」時くらいか。双子の弟とか。 |
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